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リズムの哲学ノート|山崎正和

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■著者
山崎正和

■内容
身体を巡る先人の思索を批判的に継承しつつ、人間至上主義を超えた真の自由の可能性を探究する。積年のテーマに挑んだ集大成の書。

文明一般から自然現象におよぶ森羅万象に遍在するリズム。「リズムを感じる」とは人間をその枠外に拡大することであり、常識が価値の秩序としているものから解放することなのである。積年の思索の集大成にして、真の知的冒険の書。

■目次
第1章 リズムはどこにあるか
第2章 リズムと持続
第3章 リズムと身体
第4章 リズムと認識
第5章 リズムと自然科学―近代科学が哲学に教えるもの
第6章 リズムと「私」
第7章 リズムと自由―あるいは哲学と常識

■抜粋
誰もが経験するように、リズムと記憶には相促的な関係があって、リズミカルなものは覚えやすいし、リズムは過去を現在に結びつける記憶の力によってつくられている。現に散文よりは韻文の方が記憶しやすいし、韻文よりは声楽の歌詞のほうが覚えやすい。算術の「九九」も声に出して唱えることで記憶できるし、「いろは」歌も記憶の便宜のために七・五調を踏んでいる。総じてリズミカルなものほど覚えやすいことは確かだが、逆に十分に覚えていないリズムには乗りにくいというのもまちがいない。そしてこの記憶とリズムの相促関係を支えるものが身体であろうことは、ここにあげた事例からすでに推察できる。じっさい読経する仏教僧は手で木魚や鉦を叩いているし、コーランを唱えるイスラム教徒は上半身をリズミカルに揺すっている。声楽の歌手は声帯を震わすだけではなく、気管支や肺はもちろん、ひそかに腰や足にいたる全身でリズムを刻んでいる。かりに黙読する場合でも、韻文を読む人は無意識に腹式呼吸を反復し、外からは見えなくとも身体の奥底で弱強、強弱を踏んでいるにちがいない。(pp.108-109)

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